モノホンhttps://mono-hon.netホンモノのコンテンツが読める情報サイトWed, 13 Jan 2021 06:33:00 +0000jahourly1嫌いなゲームに我慢して参加しなければならない時代は終わったhttps://mono-hon.net/?p=65Wed, 13 Jan 2021 06:33:00 +0000https://mono-hon.net/?p=65

父が子供ころに、椅子取りゲームという遊びがありました。音楽が止まるのを合図に、複数人で限られた椅子を取り合う遊びです。座れなかった人はゲームから退場し、椅子の数は徐々に減っていきます。最後には椅子は一つになり、座った人が ... ]]>

父が子供ころに、椅子取りゲームという遊びがありました。音楽が止まるのを合図に、複数人で限られた椅子を取り合う遊びです。座れなかった人はゲームから退場し、椅子の数は徐々に減っていきます。最後には椅子は一つになり、座った人が勝ちというルールです。

父はこの椅子取りゲームが大の苦手でした。椅子に座ろうとすると、誰かと一つの椅子をめぐって戦わなければなりません。お尻をぶつけ合って、相手を蹴落とし、先に座らなくてはならないのです。

遊びだと割り切ってやればよかったのでしょうが、なぜだかできませんでした。仕方がないので、音楽が止まったときに、一生懸命に椅子に座るふりをして、座れなくて残念そうなふりをしていました。わざと負けていたのです。

一度負けると、しばらくその輪に加わらなくてもよかったので、少しも悔しいと感じることはありませんでした。しかし、人生は競争から逃げられないものです。中学に入学して野球部に入りましたが、部員が3学年で70人を超えていたので、ベンチ入りするのも大変です。

しかし、椅子取りゲームと違って、野球は一生懸命に練習し、チャンスが与えられたときに結果を出すことだけを考えればよかったので気が楽でした。

社会人になるときに、新聞記者という職業を選んだのは、父は出世競争に向いていないと悟ったからです。会社などの組織の中での出世競争は、椅子取りゲームに似ています。組織のトップになるには、数々の椅子取りゲームを勝ち抜かなくてはなりません。

それに比べて、新聞記者は、取材して記事を書く「職人」のようなイメージを抱いていたので、どちらかと言えば野球のように、日々仕事をして、結果を出すことに集中すればよさそうな気がしました。

いざ新聞記者の仕事を始めると、出世競争とは無縁というわけにはいきませんでした。ひとつの椅子をめぐって、いろんな駆け引きがあり、隙を見せると失敗の責任を擦り付けられたりします。

新聞社を辞めるまでは、なるべく椅子取りゲームには参加せずに、良い仕事をすることだけに集中していました。しかし、インターネットのニューメディアの登場や活字離れが進み、会社の業績が危うくなると、人員削減のリストラという形で、実際の椅子の数が減り始めたのです。

潮時と考えて、会社を退職し、独立して今があります。会社にいたときよりも、苦労は多いかもしれませんが、嫌な椅子取りゲームをしなくていいので、とても幸せです。

君たちも、学校を出て、就職すれば、さまざまな難しいことに直面すると思います。父の経験は、何事かを成し遂げた成功例ではないので、あまり参考にならないかもしれません。椅子取りゲームが好きでも嫌いでも、組織に入ったのなら、とりあえずやってみるのもいいし、やっぱりやりたくないなと思ったら、他のゲームを探せばいいと思います。

産業革命を経て、それまでは農民や商人だった人たちが、工場に集められました。それが今の会社員の始まりです。父の父もタバコ店の息子で、父の母もクリーニング店の娘でした。父の父たちの時代は、戦後の日本が高度成長を遂げる時期に会社員となり、定年退職まで勤め上げたのです。

父の仕事時代は、父の父たちの時代を引きずって始まりましたが、後半にデジタル技術の進展が導いた第四次産業革命が起こって、働く人たちにも大きな変化をもたらしています。

仕事人としては、会社勤めもあれば、副業もあるし、起業する人も多く、フリーランスも増えています。受験競争・出世競争がスタンダード時代は、振り返ってみれば、ほんの短い期間だったのです。

仕事人として、どう生きるかを決めるのは君たち自身です。前例や参考例が少ないので、どれを選べばいいか、そのためにはどうすればいいのか、悩ましいですが、椅子取りゲームだけの時代ではなくなったことは、幸せな事だと思います。失敗を恐れずに、好きなゲームに何度でもチャレンジしてください。

 

 

 

 

 

 

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いつかは確実に訪れる「最期」と向き合うことで、 今、どう生きるべきかを考えることができるhttps://mono-hon.net/?p=45Tue, 12 Jan 2021 05:41:45 +0000https://mono-hon.net/?p=45

新型コロナウイルスの感染拡大で世界中が混乱した中で、父の両親、つまり、君たちの祖父と祖母が相次いで亡くなりました。ウイルスに感染したわけではなかったけど、感染防止のために自由な移動がままならない中で、最期の言葉を誰に話せ ... ]]>

新型コロナウイルスの感染拡大で世界中が混乱した中で、父の両親、つまり、君たちの祖父と祖母が相次いで亡くなりました。ウイルスに感染したわけではなかったけど、感染防止のために自由な移動がままならない中で、最期の言葉を誰に話せずに亡くなったのです。

突然の両親の死も、感染症が猛威を振るう中では、世界に数ある悲劇の中の一つに過ぎないと感じさせる異様な時代です。父は2つのことを感じました。

ひとつは、「人の命には限りがある」という当たり前の事実です。日常生活の中、ノーマルな人は、自分が死ぬことを考えません。というよりも、自分がいつまでも生きるような感覚で、生活を営んでいます。

父は子どもの時、「人間は死んだらどうなるのか」ということが頭に浮かび、とても怖くなり、布団にもぐって震えていたことが何度もありました。だから、次第に、「死」について考えないようになりました。

しかし、身近な人が亡くなったりすると、「死」についての考えが改めて思い浮かぶことがあります。また、人生の中でつらい経験をすると、「死にたい」と考えるまではいかなくても、「今、死んだら楽だろうな」と考えることもありました。しかし、心と身体が健康な状態であれば、そのような考えは持ってはいけないと考えるのです。

ところが、自分の親の死は、受け入れざるを得ません。「人生100年時代」というけれど、100歳まで健康と言う人はまだ少ないように思います。「命はいつかは終わる」という誰もが知っているけれど、あまり考えたくない事実と正面から向き合うのです。

もうひとつ感じたのは、「自分が死ぬときに、残された人たちに伝えたい言葉」のことです。コロナ禍の混乱の中で、父の両親は誰にも知られずにこの世を去りました。もし、コロナのパンデミックがなかったなら、2人とも、このタイミングで孤独に死ぬことはなかったかもしれません。

今は一人暮らし世帯が急増し、一生結婚しない人も珍しくありません。いわゆる「孤独死」が、他の死に方と比べて、「とりわけ残念である」とも思いませんが、誰もいないときに、突然この世を去る可能性はこれまで以上に高くなるのではないでしょうか。

「死」と向き合うことを今までは避けてきたけれども、父の年齢になると、考えるべき時期なのだろうと感じました。両親の死がそれを教えてくれたのです。大事な人の死は、命には限りがあることを改めて考えさせてくれます。いつかは確実に訪れる自分の「死」を覚悟することで、自分が今、どう生きるべきかも考えさせてくれます。

両親の死が教えてくれた当たり前の教訓を胸に、これから、息子である君たちに、父が伝えたいと思っている言葉を書き綴っていきます。

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