生きづらい世の中です。なんとなく苦しいけど、その原因はわからないという人もいます。でも、自分自身に聞いてみると、生きづらさの原因として、自分自身を縛り付けている鎖が見つかるはずです。まずは、その鎖を見つけ出し、ほどいていくと、心も体も軽くなるかもしれません。
学校でも、職場でも…。競争するから生きづらい
みなさんは「競争」という言葉から、どのようなイメージを持ちますか?競争に勝つと嬉しいですよね。また、「競争することによって、技術を高めることができる」と思う人もいますし、「競争することによって、経済が良くなる」と考えている人もいるでしょう。
ただ、競争には勝者がいれば、敗者もいます。競争について好意的に考えている人は、負けることよりも、勝つことを考え、競争を楽しむことができます。しかし、負けることが多い人は、競争をストレスに感じます。
競争することを楽しんでいる人でさえ、疲れたときは、競争するのが嫌になることだってあるでしょう。
私たちの社会では、好むと好まざるにかかわらず、物心がついた時から、誰かと競争しなければならない環境に置かれています。学校に入ると、通信簿や偏差値など、校内で行うすべての行為に、点数がつけられ、順位付けされます。
得意なことで競うだけではなく、苦手なことや、よくわからないこと、嫌いなことでも競争することを求められてしまいます。競争に勝ってばかりの子どもは少数です。勝者は一定数なので、負けることの方が多くなります。
また、競争に勝った子どもにとっても、競争の日々が毎日続くことで、「次は負けるかもしれない」という気持ちにさせられます。
そして、受験という大きな競争に巻き込まれる子どもたちもいます。名門といわれている学校に入るために、受験勉強に励んだり、名門といわれている学校に推選されるために、定期試験でよい点数を取って、成績を上げなければなりません。
何を学びたいのか、卒業後何をしたいのかよりも、とにかく見栄えの良い学歴となることが優先されがちです。そして、競争の中で築き上げてきた学歴を引っ提げて、卒業後に入った組織でも、競争から逃れることはできません。
毎年のように、名門校から新入社員が入り、先輩たちも名門校出身です。その環境で定期的に行われる人事評価で良い点数を取り、昇進や昇給を目指します。 競争社会において、競争することを否定するつもりはありません。
競争することが好きな人にとっては、競争して、勝利することがモチベーションになっている場合もあるでしょう。その時は結果が出なくても、「次こそは」と頑張れる人もいるかもしれません。
好きでやっているのに、比べられると嫌になる
しかし、そもそも競争することが好きではない人にとっては、競争社会で誰かと競うことを強いられるのはストレスです。また、最初は競争に勝とうと頑張っていたとしても、勝てないことで自信を失い、モチベーションを下げてしまうこともあるでしょう。その結果、競争が嫌いになることもあるでしょう。
振り返ってみると、「競争することで、能力が高まる」「競争をすることは、人の成長にとって良いことである」という言葉を、子どもころから言われてきて、それを全く疑いもしなくなっていることに気づきます。でも、本当に、そうでしょうか?
自分が見つけた好きなことに夢中で取り組んでいる時、とてもハッピーな気持ちになります。でも、好きで取り組んでいるそのことに関して、誰かと比べられたことで、急にやる気をなくしてしまった経験はありませんか?
例えば、漫画を描くのが好きで、暇さえあれば、自分の作品を描いていたとします。友達に漫画を見せて、とても喜んで読んでもらっているうちはいいのですが、その話を聞きつけた別の友達に見せたところ、自分が描いた漫画より、別の友達の友達が描いた漫画の方が面白いと言い出しました。
比べられて、優劣を決められた瞬間に、心は揺れ動きます。 「その友達より、もっと面白い漫画を描いてやろう」と思って奮起する場合は、その時は、それがモチベーションになっていますが、たくさんの人に読んでもらっているうちに、批評家も増えてきます。
誰かの作品と比べられたり、競争させられる状態がずっと続くことになります。「それに打ち勝ってこそ、良い作品が生まれ、将来はプロの漫画家になれる」と思える人はいいですが、好きで描いていた漫画が、誰かと比べられたことで、嫌な気持になってしまう人もいるでしょう
人はなぜ競う、ピラミッド社会の宿命か
競争社会が息苦しいのは、自分は競争したくないのに、多くの人が競争することが大事だと考えているので、競争に巻き込まれてしまうことです。正面から競争を吹っ掛けられる場合もあるし、見えないところで足を引っ張られることもあるでしょう。
学校や会社など集団組織の中にいると、その競争の渦から離れようとしても、難しい場合もあります。
それは、先生と生徒、上司と部下など、上下関係が存在し、上が下を評価する仕組みを持っている組織では、その組織の中の一人ひとりが、その組織の中での「上下」や「勝ち負け」を意識してしまうからです。
このような組織では、あらゆる人間関係に序列が存在し、それを意識した振る舞いが求められます。学校では成績表や偏差値、部活動での評価などが序列を決める尺度になるし、社会に出ても、いまだにピラミッド型の階級組織を維持している会社も少なくありません。
夏休みや正月休みの後、学校や会社に行くのがつらいと感じる人は少なくありません。それはなぜでしょうか?夏休みや冬休み、春休みなどの長期の休みの間は、「競争」という鎖から解き放たれ、自由に生きられる時間が持てます。
でも、休み明けは、再び、その自由が奪われてしまうことへの抵抗感ではないでしょうか? だからといって学校や会社を「辞めます」と言える人は少数でしょう。しかし、この「競争社会」から、今すぐ抜け出すことは難しいとしても、少しずつ、距離を置くことはできるはずです。
競争社会からゆっくりと距離を置こう
競争をくぐり抜けることで、輝かしい成功を収める人はいます。勝負の世界で生き抜くスポーツ選手たちにとっては、競争が成功の原動力と考える人もいるでしょう。また、繰り返しになりますが、競争することが好きで、楽しい人もいます。
ただ、問題は、「競争することが、唯一の成功への道であるから、誰もが競争に参加しなければならない」と考えてしまうことです。子供のころから、競争することを推奨され続けてきて、競争を否定することを考えから除外してきたならば、競争社会にフィットしない自分を認められなくなってしまいます。
誰もが競争を勝ち続けることはできません。負けることもあるし、負け続けることもあるでしょう。競争社会でサバイバルしていると、知らず知らずのうちに、ストレスを蓄積させ、何かのきっかけで、限界を突破してしまうこともあります。
だから、競争社会が「生きづらい」と感じることは不思議ではないのです。むしろ、正常な反応であるともいえるでしょう。
もし、競争社会が生きづらいと感じたら、あえて競争を続ける必要はないし、競争の場から立ち去ったり、ゆっくりとその場を離れることが、生きづらさを解消するきっかけになるかもしれません。「競争」が自分を縛っている鎖であるなら、それをほどいていくことが大切です。