ハードワークとは、「辛い仕事」や「骨の折れる仕事」を示す英語の表現です。身体的に疲れる労働のほか、精神的な努力や時間を要する仕事という意味も含まれます。スポーツでも、自己犠牲をいとわず、チームのために走り回る「ハードワーク」ができる選手は、貴重な存在です。
しかし、このハードワークに対する価値が、必要以上に高く評価され、目的を達成するために欠かすことができない絶対条件として扱われてしまうことがあります。そういう場所に参加している場合、ハードワークが生きづらさの鎖になってしまうことがあります。
ハードワークという手段が、目的化してしまう
そのひとつは、ハードワークという手段が、目的化しているケースです。例えば、営業部の月間売上高の目標を達成するために、電話セールスを一人当たり何件以上行うことを決めているケースを考えます。今は昔と違い、電話でのセールスはとても難しくなっています。それでも、デジタルを使った営業ツールなど、新しいやり方を検討せずに、これまでのやり方に頼ってしまう場合があります。
電話セールスが難しいのは、電話を使った詐欺や迷惑電話などが横行し、多くの人が、知らない人からの電話を警戒しているからです。このため、電話でのセールスは、電話をかけるという身体的な疲労より、電話がつながらなかったり、かけた相手の厳しい対応に精神的に疲れてしまうことがあります。 それでも、電話をかける件数が決められているため、営業の担当者は電話をかけ、そしてそのたびに、ストレスを蓄積させていきます。売上の数字が上がっていけばまだ救われますが、数字が上がらなければ、心のダメージだけが残ります。
みんながハードワークアピールをすると、息苦しい職場に
また、ハードワークという自己犠牲が、組織への「忠誠心」の証になっている場合もあります。「結果は出ていないが、あの人は、これだけ努力しているから、評価してあげるべきだ」という考え方です。
もちろん、努力をしない人よりも、努力をした人の方が報われるべきだと考えることは順当だと思いますが、この考え方が、長時間労働を招いていることも事実です。仕事をしている時間を増やすことで、結果を出そうという熱意が伝わり、結果が出なかったときの「免罪符」になっている場合もあります。 「忠誠心」や「免罪符」のためのハードワークをみんながやり出すと、職場に長時間労働をもたらし、息苦しい雰囲気になります。ハードワークをしたときのアウトプットは出来が良いとか、時間をかけたほうがいいモノを作れるという考え方も、闇雲にやると、長時間労働の温床になります。
教育現場でも蔓延するハードワークに対する信仰
教育現場でも、ハードワークに対する信仰が蔓延しています。教える側が、苦労すること自体に意味があると信じ込んでいたり、昔からのルールにとらわれて、効果的な方法よりも、努力することを強いてしまうケースなどです。
例えば、ある中学生が英単語を覚えるため、辞書を引き、発音記号を調べるように教わっています。しかし、中学生は発音記号を見ても、どう発音するかわからず、日本語の意味を覚えようにも、イメージが湧いてきません。 単語の発音が分からない時は、ウェブやアプリを使って実際に発音させる方法があります。それを使って発音を真似てシャドーイングすれば、単語の理解が進みます。しかし、教える側が、苦労したほうが、暗記が進むと考えて、それを制限してしまうことがあります。似たようなことは、足腰を鍛えるために、「うさぎ跳び」など身体に負担がかかりすぎる運動をさせたり、運動中に水を飲むのを我慢させるなど、不必要なハードワークがもたらす弊害はたくさんあります。
好きでやるハードワークは、苦にならない
自ら進んでハードワークをすることもあります。ギターを弾けるようになりたいと思って、毎日、一生懸命練習するようなケースです。好きな曲をギターで弾くようになれるようにハードワークをすることは、苦になりません。熱意が強ければ強いほど、ギターが好きであればあるほど、ハードワークは長続きします。サッカーのようなチームスポーツでも、自分から進んで、長い距離を走り、守備や攻撃に貢献する選手がいます。サッカーに対する熱意がハードワークの原動力になっています。
ハードワークを行ったという経験は、すぐに結果に結び付かなくても、自分の成長の糧になります。努力をすること、ハードワークをすることは、それ自体に意味があることです。しかし、何をするにも、どんなときにも、ハードワークが必要になるとは思えません。
成功者の物語では、その人がこれまで行ってきたハードワークが成功をもたらしたと語られることがあります。この時、ハードワークが成功のために絶対に必要だという「ハードワーク信仰」が刷り込まれます。しかし、誰かによって義務化されたハードワークは重荷でしかありません。 もし、ハードワークが生きづらさの鎖になっていると感じたら、そのハードワークは何のためにやっているのか、そしてそれが本当に必要なのかどうかをよく考えることが大切です。