執着とは、心が何かにとらわれて離れられなくなっている状態のことを指します。執着は、ネガティブな心の状態になると、苦しみや悩みを生み出すきっかけになってしまうこともあります。
承認欲求が強いと、人から認められない時にイラっとする
執着を生み出す原因のひとつに、強い承認欲求があります。人から認められることが自分の存在意義のように思ってしまうと、人から認められない場合に、いら立ちを感じます。
自己肯定感が低いために、誰かに執着を持ってしまうこともあります。自分に自信がなく、評価や判断の基準を持てないために、他の誰かに依存してしまいます。そして、この人を理想化し、執着してしまうこともあります。 誰かや、何かに依存し、執着することで、自分の存在意義やプライドを保とうとすると、依存している人に見放されたり、その事柄を失うことが不安になり、心のバランスを失ってしまうのです。
愛着は執着と違い、相手に「慈しみ」や「思いやり」を持つ
執着と比較される言葉に愛着があります。執着は、自分の不足感を埋めるために、相手や物事に心が囚われて自由を失っている状態です。愛着は、慣れ親しんだ人や物事に深く心を引かれ、離れがたく感じる心の状態を指します。最大の違いは、愛着は相手への「慈しみ」や「思いやり」があり、「信頼」と「自由」の上に成り立つところにあります。
対象が人の場合、最初は愛情を持って接していても、いつの間にか、執着になってしまうことがあります。最初は相手を尊重し、自由を認め、大事に思っていても、時間が経過するうちに、または、何かのきっかけで、自分の不安を和らげるために、相手を利用しようとしたり、相手を自分の所有物のようにコントロールして、自分のプライドを高めようとしてしまうことがあります。 このように人に執着してしまった場合、その人に不快な思いをさせてしまうこともあります。
一生懸命はいいこと。でも結果にこだわり過ぎると執着に…
一生懸命という言葉も執着と似ていて、誤解されてしまいます。一生懸命とは、何事も「やり遂げる」という強い意志を持ち、粘り強さを発揮すると良い方に向かうことがあります。目的達成への意欲や熱意、充実感といった前向きな気持ちが原動力になり、困難な状況でも、自分を高め、成長しようとする健全な心の状態です。
最初は一生懸命やっているつもりでも、いつの間にか、または、何かのきっかけで、執着に変わってしまうこともあります。
例えば、自分が表現したいことを、YouTubeで発信したいという夢を抱いたとします。好きで始めたことだから、番組登録数や再生回数などの数字を気にせずに、作り続けることができたら、それはすでに夢をかなえたことになるはずです。 でも、注目が集まらないと、モチベーションが下がってしまうことがあります。少しでも数字を上げようと改善を試みるまではいいのですが、数字が上がるかどうかにこだわりすぎて、自分が作りたかった内容よりも、アクセスが高くなりやすい内容に変えてしまうこともあります。数字が上がることに執着していると、自分が本当にやりたかったことを見失ってしまうことになってしまいます。
「執着していないか?」と自問し、執着を手放そう
夢や目標を抱いて、実現に向かって取り組んでいるときは楽しい気持ちになります。うまくいかないこともあるでしょうが、あきらめずに取り組み続けることで、その夢に一歩一歩近づいていきます。あきらめない気持ちは大事で、それは執着とは違います。
執着は不安からもたらされます。自分が夢を持って取り組んだことが、うまくいかない時に、「このまま、これを続けていても、何になるのだろう」と心が揺れ動きます。その不安な気持ちに支配されてしまったときに、夢が執着へと変わっていくのです。
好きで始めたことなのに、いつの間にか、苦しい、つらい、面倒くさいなど、ネガティブな感情ばかりが浮かんできます。その時に、「やりつづけなければならない」という強迫観念にとらわれると、自分で自分を苦しめることになりかねません。
そうした時は、「もしかして、私は執着しているのではないか」と自分自身に問いかけてみることが大事です。
自分が執着していることに気付いたら、その執着を手放すことが大事です。執着とは、心がとらわれて離れられなくなっている状態のことを指すので、簡単に手放せないこともあるかもしれません。その時は、初心を思い出し、何のためにやり始めたのかを考えてみるといいでしょう。 執着しているのか、一生懸命なのか、自分でもわからなくなった時は、一度、そのことから離れてみることも効果的です。冷静になって、考えてみることで、答えが見えてくるかもしれません。

